R.I.P MJ

gougejp2009-07-03



ほぼ1年ぶりの日記更新です。


先週の金曜日にMichael Jacksonが亡くなった。


性的虐待疑惑以降ここ数年ゴシップばっかりが取り上げられ、
主な音楽活動は行っていなかったけど、
これを機にあらためて考えてみると
やっぱりとんでもないUltra Super Starだった。


熱狂的なファンではなかったけど、
なんだか悲しすぎて1週間たっても感情がうまく昇華できないので
日記に書いとこうと思いまつ。



俺の場合小学校〜中学校の一番多感な頃にちょうど
バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「ゴーストバスターズ
インディ・ジョーンズ」「グーニーズ」と、
まさにハリウッド映画が絶頂を極めていて、
そしてやっぱり音楽シーンもアメリカが絶好調で、
シンディー・ローパーやマドンナ、
そしてマイケル・ジャクソンが勝手に耳に入ってきた。
今思うとリアルタイムでその時代にいれたのは幸せなことだと思う。
(かなり子供だったけど)


その後たしかちょっとブームも下火になった頃、今でも覚えてるんだけど、
高校に入りたての俺は中学の頃好きだった子と
なんとかデートまでこぎつけたんだ。
初めてのデートで超緊張してて、どこ行っていいかわかんなくて、
結局渋谷のタワレコで、ちょうど発売キャンペーンをしてた
マイケル・ジャクソンの「Dangerous」を買ったんだった。


普通のCDの2倍もある長っぽそいジャケットが新鮮だった。


ちょうどその頃我が家にもMTVが入ってきて、
MTVで見た「JAM」、「Black or White」、「Remember the time」、
「Heal the World」
のPVにはほんとにシビれた。


今でも自分の中では「Dangerous」が
リアルタイムで好きだった特別なアルバムになっている。


結局その後例の少年に対する性的虐待疑惑が起こり、
マイケルの人気は下降していくことになってしまうんだけど、
今思うとこれがホントにひどい話。


日本では未だにこの虐待疑惑が本当に無罪なのか、
肌の色は漂白したのではないか、
とかいう負のイメージがつきまとっているけど、
この辺はハッキリさせておくべきだと思う。


子供のころからショービズ界で働きづめだったマイケルは、
普通の子供のように学校で友達を作ったり公園で遊んだり、
遊園地に行ったりできなかった。


他の子供にそんな思いをさせたくないと、ネバーランドを作ったらしい。


7,8歳の頃、ハエのたかるアフリカの子供達を見て、いつか自分が助けたい、
と話していたというし、どんなスピーチでも、
子供達を救いたいという思いを伝えている。
マイケルの右腕の腕章は世界中の子供を救済する決意表明で、
80年代後半からずっとつけている、という。
そんな彼が子供を虐待するはずはないのだが、
その上でwikipediaより概要を転載しておく。


http://ja.wikipedia.org/wiki/マイケル・ジャクソンの1993年の性的虐待疑惑


1993年、13歳の少年が自分の父親(ビバリーヒルズの歯科医)によってマイケルを告発させられる。家宅捜索の際、捜査員はマイケルの家の花瓶を蹴り倒し、25万ドル相当の金貨数枚も紛失されてしまったが、この件に関しては不問とされ起訴もされなかった。また、警察は全裸にして体中を調べたのだが、証言と完全一致するような証拠は見つからなかった。マイケルは、偏頭痛から鎮痛剤中毒になり、ワールドツアーを途中で断念した。


疑惑の発生後、マイケル側の弁護士団内では内部分裂による意見の相違が本格化。米国では、民事では裁判に持ち込む前に示談とすることが一般的なことと、マイケルが鎮痛剤中毒の治療に専念しなければならないことを考慮し、1994年1月 25日に少年に対し以後40年間にわたり計1530万ドルを支払うことにより和解。「僕は不適切な事は何もしていない。名前と名誉を守る事だけにこのお金を支払う」と書かれた示談書を提出した。マイケルは「馬鹿みたいな裁判をテレビでやりたくない。どうやっても疑われたままになってしまう。もうこれは終わりにしようと言ったんだ」と語っている。


結局、大金を手に入れた家族は家庭崩壊してしまい、母親と少年は縁が切れてしまった。後に少年は嘘の証言をしたことを告白し、父親によってマイケルに不利な証言を言わされたと述べた。父親が弁護士と画策して「卑劣な手を使ってマイケルを陥れ大金を手に入れる」と証言している電話記録も正式に残っている。また、少年の父親が自らの制作映画への資金をマイケルに出させようとしたという話まである。


なお、この訴訟で無理矢理証言させられたジョーディ・チャンドラーは、2005年8月5日に虐待されたとして父親を訴えた。ニュージャージー州の法廷で「彼は頭を後ろから殴られていた・・・ダンベルの重りで・・・そして、催涙、もしくは刺激性のスプレーを目に吹きかけられ、そして窒息させられそうになっていたと述べられた。さらにそれでもまとまらず2006年9月5日に控訴した。そのためこの訴訟は家庭裁判所から一般法廷に移ることになった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/マイケル・ジャクソン裁判


少年の母親は過去にも別の人間に対しても同じような訴えを起こしており、その犯行パターンがプロファイルされていた。訴えた少年の母親は、子供の癌を理由にテレビ司会者のジェイ・レノやコメディアンのジョージ・ロペスなどの有名人に接触し、治療費として貰った金で高級車を買い、全身エステに通っていた。


8月23日当局は母親を福祉詐欺で起訴、経済状態を偽って1万9000ドルの生活保護手当をだまし取ったとして、詐欺罪に問う[20]。2006年11月13日に福祉詐欺で有罪判決が下った。判決により、8600ドル(約100万円)以上の支払い及び150時間の地域奉仕活動が母親に命じられた。


子どもたちへの支援のために、ネバーランドに招待したのに結局、
悪意ある人々の罠に引っ掛かってしまったというわけ。



それから、マイケルの肌が白いのはマイケルも話しているとおり
完全に尋常性白斑という病気によるもの。


●マイケルの白斑の写真
Michael Jackson's skin disease
http://popspiracy.blogspot.com/2007/06/michael-jacksons-skin-disease.html
●同じ症状の黒人の子
http://a.abcnews.com/images/2020/Desiree_Vitiligo_080327_ms.jpg



亡くなった後のフジテレビの追悼番組もひどかったけど、
マスコミはゴシップネタではなくて、
もっとマイケルの行ってきた素晴らしい活動を取り上げるべきだった。


【慈善活動】
http://www.youtube.com/watch?v=bZk0dQrxiw0
http://www.youtube.com/watch?v=4iwimKsLJTA
涙がとまらない・・・


【人種差別に対する訴え-The Angry Black MAN】
http://www.youtube.com/watch?v=Q94H7-bKNxo



こんなにひどいイジメや搾取をこんなに長い間受けていたら
普通の神経だったらとっくにドラッグにはまって死んでいただろう。


マイケルの寿命を縮めたのは間違いなくマスコミだと思う。



マイケルの人柄・功績は著名人の追悼コメントからも伺える。


マイケル・ジャクソンのような才能はもう現れないだろう。初めて行ったコンサートは8つのときだった。彼がいなかったら、いまの僕はないだろう。彼が音楽だった」
−ミュージシャン レニー・クラヴィッツさん(BARKS より)


「マイケル以上に音楽に大きな影響を与えたアーティストはいない。彼はマジックだった」
−シンガーソングライター ビヨンセさん(BARKS より)


「世界で最も誤解されていた人物だった。奇人だとか変人だと思われていたが、
本当の彼はみんなと同じフツウの人物だった。とても優しい人だった。
ある夜、ロンドンでホームレスの人たちを見て、内緒でたくさんのピザを送っていた」
−マット・フィデス(元ボディ・ガード)


「彼がいなかったらMTVで黒人のビデオはかからなかった。
R&Bは世界のポップスになり得なかった。人種差別を理屈や運動だけでなく、
氷解させた功績は奇跡」。
久保田利伸



そんなわけで最近は、辛くなったり落ち込む度にマイケル見まくってます。
やっぱりマイケルのPVやLive映像を見ると元気が出るのは、
マイケルが史上最高のエンターティナーだからだね。


最後に、中でもとくにすごかった映像を紹介。
ぜひぜひぜひ一度は見てください。追悼。


1993年のスーパーボウルハーフタイムショー。鳥肌。
(※ニコ動のID/PWは各自で登録しないと見れません)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6984712


1995年MTV Awardでのショー。
特に後半がヤバい。Janetの表情が泣ける。
http://www.youtube.com/watch?v=1UDTxu6IGWw